※記憶喪失ネタ、GL
記憶喪失になった相手に対して言った言葉は、思い返せば頓珍漢なことだっただろう。
「なあ。海を、見に行かないか」
お姫様にならないで
公共交通機関の窓から外を眺める。
静かだ。暖かな陽気に少し眠くなる。
「ヴァーツさんはなぜ私を"お姫さん"と呼ぶんですか?」
「お姫さんはお姫さんだからな。なんだ、お嬢さんの方がよかったか?」
「……いえ。お姫さんと呼ばれた方が何故だかしっくりきます」
不思議そうにする"シエラステア"を少しからかってみる。
お姫さんは唐突に記憶喪失を起こした。
原因になりそうなものを手当たり次第に調べ、闇市まで荒らしたが(少しだけだ。別に大暴れしたわけじゃないから大丈夫だろう)、尻尾を掴むことができなかった。
何も覚えていないからか、オレのことはすんなりと受け入れてくれていた。
オレがシエラステアと呼んでも、自分のことだと認識していた。
「だとしたら、私はヴァーツさんのことをどう呼べばいいですか?」
懐かしい問いだ、と思う。
彼女と知り合い少し経った頃、同じようなことを聞かれた覚えがある。
「オレか?オレは……そうだな。用心棒とでも思ってくれればいいぜ」
だからオレも同じように返す。
──────すこし胸が痛んだ気がした。
「海だ」
「海ですね」
エルディラ帝国から公共交通機関を乗り継ぎ遠く離れた海。
綺麗ですね。あんなに遠くまで見える、なんて彼女は言う。
そりゃあそうだろう。お姫さんが教えてくれた海だ。
まるで見たこともない景色を見たかのように話してくれる。
「……お姫さん」
「なんですか?」
「いや、その。……なんでもない」
彼女は覚えていない。
オレと過ごした日々を。
いくつもの海を、景色を。世界を見て歩いて。
沢山の海を一緒に見ましょうね、なんて言っていた彼女。
「ヴァーツさん。私、海が好きです」
「……ああ、知ってるよ」
隣にいたはずの彼女が、どこか遠くに感じる。
「ヴァーツさんは素敵な場所を知っているんですね」
「……違う」
「……ヴァーツさん?」
気づけばお姫さんの手を取っていた。
きっとオレは今、酷い顔をしているだろう。
このまま黙っていれば。"シエラステア"は傷つかない。
過去も肩書も忘れたまま、お姫様でいることができる。
彼女の望む、お姫様でいられた。
「オレにこの海を教えてくれたのは、お姫さんだ」
「……そうだったんですか」
「ああ、そうだ」
ごめんなさい。
それでもオレは彼女に、お姫様のままでいて欲しくなかった。
オレだけのお姫さんでいて欲しい、だなんて。これはオレの我儘だ。
「この海も。この世界の景色を……オレに教えたのはお前なんだよ、クヴァメル」
「初めての告白にしては刺激的でしたね」
「最悪な告白なんで忘れてもらえねえか……?」
「今度は絶対に忘れませんから」