「人間領の裏路地に化け物が住み着いていて住民を襲う。なんとかしてくれ」
そんな依頼が僕らのもとに届いたのは、ある秋の日だった。
その裏路地に来た僕は、依頼書を見つめる。
化物の種族も種類も、見た目さえも書いていない。
数日かけて探しているが、なんの手がかりもないまま僕は暗い路地を進んでいった。
「気配はあるから、いるとは思うんだけど……」
僕が歩いていると、路地の突き当りだったようだ。
そこに布切れをまとった小さな、蠢く何かがいた。
布切れの下からは、鋭い爪が見え隠れする。
「……あいつらが化物っていうからどんなものかと思えば……ずいぶんと小さいな」
僕が声をかけると、その布切れは驚いたのか後ずさる。
「ああ、僕はお前を傷つけに来たわけじゃない。そして、あいつらの見世物にする気もない」
僕がしゃがんでその生物に近づくと、それは一層縮こまってしまう。
「僕は、君を傷つけたりしない。だから、安心して」
そう声をかけ、手を差し出す。
次の瞬間、僕の顔の左側に鋭い痛みが走った。
「ッ……」
突然の痛みで顔を触ると、ぬるりとした感触。
見ると手には、真っ赤な血がついていた。
その血は、目の前の布切れの爪からも滴り落ちている。
布切れから覗いた真っ赤な目が、怯えた色をしていた。
「大丈夫だよ」
ぼたぼたと流れ落ちる血を無視しながら、僕はゆっくりと近づく。
逃げ場をなくしたそれは、震えながら僕を見上げた。
「大丈夫、僕はお前に危害を加えない。約束するから」
そっと優しく頭を撫でると、それは少し落ち着きを取り戻したようで、ボロボロと涙を零す。
言葉にもならない鳴き声を発しながら、自分の爪を見る。
「大丈夫、わかってるよ」
僕は静かにそう言って、自分の服でその爪についた血を拭う。
「お前は、人を襲うような子じゃない。ただ、生きるために必死なだけなんだ。……でも、このままじゃお前はいつか殺される。だから」
僕はそれの手を取り、そっと握った。
「僕と一緒に来ないか?僕が君を守ってやる。だから君も、僕を助けてほしいんだ」
***
布切れだった冬宮は最初こそ警戒していたものの、少しずつ僕に心を開いていった、と思う。
表情こそ変わらないけれど、行動は変化していった。具体的にはいたずらという形で。
冬宮は僕やしー、獣人領の長老たちが教えたことをどんどん吸収していき、人型でも異形でもない不安定な姿は、いつの間にか完全な人の姿になっていた。
だんだんと領地でもやることが増えていって、人も増えていった。
でも本当は、僕は何も変えれなかったんだと気づいた。
僕には冬宮を変えることはできなかった。
あいつは結局、自分のことを化物と呼んでいた。
ディヴァインシュガーを結成して、長い時を武力と研究につぎ込ませてしまっていた。
そんなことに気づいたのは、
***
「おい」
聞き慣れた声に、意識が引き戻される。
目を開くと、そこには冬宮がいた。
どうやら少し考え込みすぎたようだ。
目の前にいる冬宮は今となっては少し珍しい、不貞腐れた表情をしていた。
「悪い、少しぼーっとしてた」
謝りながら立ち上がる。冬宮は相変わらず不満げだ。
「……何を考えていた?」
そう尋ねられ、思わず苦笑いしてしまう。
本当に冬宮は鋭い奴だと思う。
僕が考えていたこと、それは過去の出来事。
昔の思い出を振り返っていただけなんだけれど、それを正直に話したら怒られるかもしれない。
「別に大したことじゃな」
そう言いかけた瞬間、ぐいっと襟元を引っ張られた。
気がついた時には、冬宮の顔がすぐ傍にあった。
「言え」
有無を言わせない迫力があった。
こうなった冬宮はもう止められない。
仕方なく僕は観念することにした。
「お前と出会った時のことを、考えてたんだよ」
すると冬宮は、僕の服を掴んでいた手をゆっくりと離した。
「……はぁ、本当に大したことじゃなかった」
冬宮は呆れ顔でため息をつく。
「……報告書、出しといたからちゃんと読んでおいてよ?」
「わかった、ありがとう。お疲れ様」
僕は微笑むと、冬宮の頭を撫でてやった。
子供扱いされたと思ったのか、冬宮は頬を膨らませる。
「そういうのいいから……」
そう言いながらも、冬宮は大人しくされるがままになっている。
「……ごめんな」
「キリル……?」
僕はぽつりと呟いた。
冬宮は不思議そうな顔をしている。
「僕は結局お前を化物にしたままだ。お前は化物なんかじゃないのに。何もできないわけじゃなかったのに」
そう言うと、冬宮は何とも言えない複雑な表情をした。
そして何か言い返そうと口を開いたのだが、その言葉が出てくることはなかった。
代わりに出てきたのは、小さな溜め息だった。
「……ねえ。それは僕が望んだことだよ。君が気にすることじゃない」
「だけど僕は、お前に何もしてやれてない」
「……キリルって案外馬鹿だよね」
「馬鹿ってお前……」
冬宮の言葉に少しへこんでいると、彼はふっと笑ってみせた。
「僕はね、今が最高に幸せなんだ!」
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